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室谷 義秀さん(パイロット)

在学中、海外の飛行訓練に出られたとか

 一応、パイロットになる道は調べたけど、じゃあ実際どうなの? っていうのは、やっぱり自分の目で見なきゃ分からないじゃないですか。その当時はまだあまりネットの普及も進んでなくて、今と比べると格段に海外の情報を得るのは難かったんです。で、仕方なく地道に知り合いを頼って聞きこむんですが、そうすると″この国ではこういう免許が取れる″とかの色々のことが分かってきた。それでまずは行ってみようと。

海外の免許取得に苦労は

 1回目はやっぱり大変でしたね。2回目以降になると、もう場所も分かっているし、知り合いもいるわけで。何事もそうですが、2回目以降って大分楽になりますよね。

 事前準備は、飛ぶ方はそれなりに訓練しました。これは実際、現地でも操縦はそんなに変わらなかったので良かったですね。どちらかというと勉強の方が大変で……。というのも、そもそもちゃんとした教科書がないんですよ。それでとりあえずそれらしい本を見つけてきて読むんだけど、全然違う本だったりして。そんな状況なので難しかったですが、幸運にも一回目で受かることが出来て。

大学卒業がやってきます

 卒業の年は、ちょうどバブル崩壊の煽りをモロに喰らって凄い就職難だったんです。それまで毎年100人くらいは自社養成を取っていた全日空もJALも一切ゼロになって。当然、自衛隊も凄い倍率ですよ。それで、どうせ簡単には入れないし、とりあえずアルバイトをしながら自分に足らない技術を磨こうと思ったんです。

練習場不足など環境の厳しさは

 そうですね、国内ではなかなか飛べなくてね。仕方なく、茨城などの空港に手伝いに行きがてら飛ばせてもらっては、少しでも飛行経験を切らさないように踏ん張っていました。そんな風ですから、1998年にふくしまスカイパークが出来たときには、それは嬉しかったですよ。やっと安定して国内で練習が出来るようになったわけですから。ふくしまスカイパークは、山沿いで広いところなんでトレーニングするには抜群なんです。で、すぐにここを拠点にしようということで決めた。

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