「わたしのマンスリー日記」 第1回 “Do for Others”

 明けましておめでとうございます。今年こそコロナが終息しウクライナに平和が戻る年になるよう祈っています。

2つの顔―教育学者と地名作家と

 初回から英語のタイトルで恐縮ですが、ここには私の命を懸けた思いが込められていますので、どうぞ最後までお読みください。

 Do for Othersという言葉は聖書の中の言葉だそうです。「だそうです」とはいささか無責任な話ですが、私はこれまでキリスト教には縁がなくしたがって聖書をまともに読んだことがないからです。それどころか、私は長野県松本市の徳運寺という曹洞宗の寺院の次男坊として生まれた身ですので、そんな人間が聖書を引きながら話をするのは不謹慎だと思う方もいるかもしれませんが、これはあるドラマから生まれた話です。しばらく耳をお貸しください。

 私は1945(昭和20)年8月生まれで、言わば「戦争を知らない子供たち」(北山修作詞・杉田ニ郎作曲)の第一世代として育ちました。寺の業務は父の跡を継いだ兄に任せ私は自由気ままな人生を送ることができました。兄には大感謝! 私は教育学者の道を選び東京教育大学(現筑波大学)に進学し、大学教員の道を進みました。

 千葉大学助教授から筑波大学教授となり、最後は副学長までやらされました。これが第一の人生だとしたら、第二の人生は筑波大学退職後地名作家として全国を歩き回り多数の本を世に送った時期に当たります。私の地名研究は最初の赴任校であった千葉大学時代に取り組んだ柳田国男研究から始まったもので、後に柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得することになります。

 半世紀近くの間全国を歩き回って書いた記事の数は、著書の他雑誌や新聞の連載等を含めると1,000を下らないと思います。必然テレビ出演も増えすべてが順調に運んでいるかに見えました。

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