• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

谷川 俊太郎さん(詩人)

やはり物を書くことは得意だったのでしょうか?

 それが全然そうではなかったんですよ。ぼくはぶきっちょで字を書くのが嫌だったんですよ母にも文字を直されていました。下手だって言われて(笑い)。今でも手書きの文字にはコンプレックスがありますね。だからワープロができた時はもうこれで書かなくて済むって大喜びでした(笑い)。

詩を発表されたのは17歳ですね

 友だちに詩を好きな男がいてなんとなく彼の影響を受けて彼に誘われて書いてみたんですけど、それまでは全然書いていませんね。まあ学校の宿題で書いたことはありますけど全然興味なかったですね(笑い)。

学校で作品が評価されたようなことは?

 詩はありませんでしたね。でも作文のほうはありましたよ。ぼくは小学校時代は模型飛行機、中学高校になってからは真空管ラジオの組み立てが好きで、手仕事が好きだったんですよね、ところがぶきっちょで、これは遺伝なんですけど(笑い)なんか綺麗にできないのね。それでその道には進めなかったし、それからぼくはプロダクトデザイナーというのに憧れていて、自動車や電化製品のパッケージを作る職種なんですね、でもこれは数学がある程度出来ないと駄目らしいということで中学の頃から数学が苦手だったので諦めました。

誌の世界に入られたきっかけはどんなふうに

 そんな時に詩を書くことを奨められて詩を書いてみると詩らしきものができるのが面白かったんですね。それをノートに書き溜めていたんです。そして父がぼくに「大学にも行かずに家でブラブラしていてどうするんだ」、と言ったときにぼくは当時なりたいものも何もなかったし、その書き溜めたものしか父に見せるものがなかったんですね。父はわりと若い時から詩も書いていたし、学者よりもむしろ文学や芸術が好きな人だったんですね。だから分かってくれたらしくて、それを三好達治さんに見ていただいて非常に運のいいスタートだったわけです。

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