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清々しき人々 第35回 高齢社会の手本となる貝原益軒(1630−1714)

人生指南をした益軒

 一六九九年に七〇歳になって引退、第四代藩主黒田綱正から提供された藩内の荒津東浜の屋敷に、三九歳のときに結婚した二二歳年下の東軒とともに居住し、作家としての第二の人生を開始します。益軒が執筆した書籍には硬派の史書なども何冊かあるものの、一般に周知されているのは『五常訓』『家道訓』『初学訓』『五倫訓』など「訓」と名付けられた人生訓を内容とする一三冊ですが、とりわけ有名な著作が『養生訓』です。

 これらの「訓」の内容は益軒の独創ではなく、中国の歴史に登場する聖賢の思想を背景にして、自身の体験と研究によって構築した内容ですが、さらに本人が病弱で、生涯の大半を痔疾、頭痛、眼病、淋病などで苦労したため、それらに対処しながら長生きした経験から執筆したという背景があります。『養生訓』は逝去する前年の八三歳のときに出版されており、もし健康で元気であれば、この名著は出現しなかったかもしれません。

 その内容の一部を紹介すると「身体は自分だけのものではないから飲食や色欲にふけって粗末にしてはいけない。人間には飲食の欲、好色の欲、睡眠の欲、駄弁の欲などあり、養生の道はこれらの欲を我慢することである」「欲を減らすと命を延ばすことになる。食を少なくし、飲むを少なくし、色欲を少なくし、口数を少なくし、怒りを少なくし、憂いを少なくし、寝るのを少なくするとよい」と僧侶の修行のような内容です。

 益軒の没後二五年程して『女大学』という偽作が出版されています。益軒の『和俗童子訓』を下敷きにした内容で、益軒の見解に類似していると推察されます。そこには「女には三従の道がある。父の家にいては父に従い、夫の家にいては夫に従い、夫が死んでからは子に従う。嫁してからは父の家に行くことを稀にしなければならない」と記述されています。現在では批判殺到の内容ですが、当時の社会規範を明示しています。

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