• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

早見 和真さん(小説家)

新たな目標設定はいつごろ

 高校2年生のとき、初めて野球以外に興味が芽生えて。それが文章を書くことだった。当時、桐蔭学園野球部は、創部以来、史上最強と謳われて、仲も凄く良かった。僕も、この中の6、7人はプロになるだろうと見ていて、一方で、この先も彼らと仕事をしていきたいなら、自分は野球をしてちゃいけないとも思っていた。そんなある日、ふと取材に来る新聞や雑誌の記者たちの姿が目に飛び込んだ。名門の桐蔭野球部には、ことあるごとに、記者たちが押し寄せる。錚々たる社名の腕章、社章を光らせた彼らは、一様に、エリート臭を漲らせ、同じく、エリートのエースや4番のところに歩み寄る。でも、彼らは野球のエリートであって、自らを語る言葉を実は持ち合わせていないんです。結果、通り一遍の受け答えが量産される。もし、今、彼らが、チームの補欠で賑やかしを担当する僕のところにくれば、彼らの欲しい言葉はすべて語れるのに……、遠巻きに眺めやる彼らは、しかし、必死に監督やエリート選手にしがみつき、ついにベンチを一顧だにせず、歩み去る……。そんな姿を見て、とても不遜なんだけど、「使えないな」と思った。コレ、新聞記者をやったら、この人たちには負けないな、と思った瞬間が確かにあって、そこに、この仲間と仕事をしたい、という思いが密接に結びついた。

それまでの読書体験は

 中学、高校時代に読んだのがたった2冊で。どっぷり野球漬けの生活でしたからね。中学のとき読んだのは西村京太郎さん『十和田南へ殺意の旅』。図書館に行ったものの、何を借りていいものか分からず、ふと目に入った『西村京太郎』を手に取った。有名だし、きっと面白いんだろう、と。もう一冊は、高校2年生のとき、沢木耕太郎さんの『テロルの決算』というノンフィクションです。奇しくも、自分と同じ17歳の愛国主義の若者が主人公とあって、夢中で読んで。そのとき初めて、文章って凄い、と衝撃を受けた。この本は、今も原体験として鮮烈に残っていますね。

早見和真

大学は国学院大学に

 大学で野球をやらない、と決めるのは、わりと覚悟のいることだった。野球推薦で行ける良い大学を断らなきゃいけないし、勉強も全然していなかったから、受験で受かるイメージもまるで無いわけです。でも、そこで踏ん張って、一浪の末に大学に入った。で、本を読むことを自らに課したんです。そこから、ようやく何かが突き動いた感じがあった。

そのときの将来の夢は

 大学に入ると、まず、一日3冊、本を読もうと決めた。これは、それまでの体育会系のマインドが文科系に置き換わって、そんなかたちで現れたわけです。で、手あたり次第読んでみると、自分はやっぱり小説とノンフィクションが好きだと気付いた。それでも、やっぱり僕がリアリティを感じるのは新聞記者だけだった。視界に広がる〝モノを書く〟の先にあるのは、あくまで新聞記者の道で、小説家なんていうのは、バケモノ級の天才たちのフィールドだと思っていた。

大学生活はどんなふうに

 面白いことをしていれば、自ずとその先には書くことが広がってる、と思って過ごしていましたね。それに、とにかく、野球をしていたら出来ない経験をしようと。1日3冊の読書もそう。必ずしも、新聞記者になるのを逆算して動くのではなかったですね。僕らの世代は、沢木耕太郎さんの『深夜特急』に強く影響を受けていて、いわゆる「バックパッカー」と言われる人間が多かった。僕も多分に漏れず、延べ3年近く海外を旅行して歩いた。

続きを読む
2 / 3

関連記事一覧