• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

真山 仁さん(小説家)

中学校時代の思い出は

 中学の生徒数は全校3,000人。当時、日本で一番生徒数の多い学校だったんです。1年生が27組で2年生が23組、3年生が21組――。また場所も大阪の栄ですから不良も多い。大阪府警がマークする高校に殴り込みをかけて、それを土下座させるくらい強いんですよ。そういう意味では小学校から一転、いきなり大都会の社会の厳しさみたいな中学校だった。

 だから小学校のときは本当に自由に振る舞っていたけど、中学では逆に、とにかく目立たない生徒でいることが一番大事だという……、そのギャップが大きかったですね。一方、読書はミステリーがすごく好きになって、創元推理、新潮文庫の翻訳モノを読み漁ってましたね。部活の軟式テニスと読書だけ、それが中学校生活の大半でした。

その頃将来の夢は

 小学校の頃は周りには医者になるって言ってたんですよ。でも中学に上がると、どうも数学とか理科系の事はあんまり自分には合っていないと感じ始めた。理由としては、ちょうど思春期に差し掛かり、こんな証明問題や因数分解に何の意味があるの? とか考え始めるようになったこと、後は、数字で物事を考えるという発想が――今でも駄目なんですけど――どうしてもそこが馴染まなくてね。で、医者は無理かな……、と思い始めて。

小説家を目指したのはいつ頃でしょう

 高校に入ってからです。公立受験に失敗して、進学した私立高校でひと息ついたころ、そろそろ頑張ってみようかなと思ってね。周りにはよく政治家を奨められたんですが、そう言われるたびに、「仮に政治家になれても国を変えるには総理大臣にならなきゃいけない。でもそれには議員の大半を味方に付ける政治力、資金力が必要だ。そんなの財閥の御曹司でもなけりゃムリだよ」って言い返して。だから政治家にはならない、と答えていました。心の底にはずっと、身分家柄のない自分がどうすれば言いたい事を言い、表現することができるのか、あの小学校6年の学級会のように……、そんな想いが揺蕩っていたんです。

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