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清々しき人々 第23回 次々と画風を転換した異才・司馬江漢(1747-1818)

長崎や紀州へ旅行

 平賀源内を発端とする人脈に出会ったことにより、蘭学に目覚めた江漢は蘭学の原点である長崎への旅行を実行すべく、江戸に妻子を滞在させたまま、一七八八(天明八)年四月に長崎を目指して一人で出発しました。東海道を移動して途中で鳥羽に立寄り、大和路を経由して八月に大坂に到着、以後、中国路を進行して一〇月一〇日に目的の長崎に到達しました。その途中での様子は『江漢西遊日記』として記録されています。

 そこには好奇の精神満々の行動が表現されています。一般の人間が簡単には出入りできない出島のオランダ商館を訪問し、年末から翌年の正月にかけては長崎平戸の生月を訪問して捕鯨を見物する機会があり、捕獲した巨大なセミクジラの背中から周囲を見渡している墨絵が存在しています(図6)。帰路には江戸で面識のあった備中足守藩主の木下石見守を訪問し、シカの狩猟に参加するなど、様々な体験をして江戸に帰還しました。

図6 「江漢西遊日記」

 それ以後も何度か遠出をしており、一七九九(寛政一一)年四月には大坂から紀州を訪問していますが、江漢の祖先が紀州出身であったことから、紀州の藩主にも謁見しています。この旅行についての詳細な日記は記録されていませんが、『吉野紀行』などに何枚かの絵画が掲載されています。それらの大半は浮世絵風ではなく、風景を忠実に描写した西洋画風の作品になっており、江漢が方向転換したことを明示しています。

画家から科学に領域を拡大

 江漢は源内の手引きによる蘭学者との交友から、当時の世界の先端の地理学や博物学に接触する機会があり、それに関係する作品も制作しています。まず世界地図です。長崎のオランダ商館の医師J・A・ストゥッツエルが一七八八(天明八)年に江戸に参府し、貴重な世界地図『ジャイヨ世界図』を持参しましたが、機会があって、それを模写して『地球図』として一七九二(寛政四)年に発表したのが江漢でした(図7)。

図7 「地球図」(1792)
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