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  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第33回 世界を旅行した女流画家 マリアンヌ・ノース(1830−90)

名門に誕生した女性

 彼女は同様に大英帝国の盛期に世界を周遊したバードについて「病弱で自己顕示意識が目立ち、冷淡な気風の女性」と評価していますが、この言葉は父親が牧師の中流家庭で成長したバードに比較して、マリアンヌが名門の貴族の家庭に誕生したという境遇の差異がもたらしたと想像されます。六代前の一七世紀の祖先ロジャー・ノースは何期か下院議員をした名士であり、『ノース一族の生涯』という伝記も出版している人物です。

 マリアンヌの曽祖父はイングランド東部の北海に直面するノーフォークのラファムにある屋敷から、南部のイギリス海峡に直面するイースト・サセックスの港町ヘイスティングスに移転していました。この屋敷で一八三〇年に誕生したのがマリアンヌですが、彼女の父親フレデリック・ノースは彼女が誕生した翌年から死亡するまでの四〇年近くイギリスの国会議員をしており、その意味でも彼女は名門の女性でした。

 当時の貴族の普通の生活様式ですが、彼女はほとんど学校に通学することなく、自宅を訪問してくる様々な知識階層の人々から情報を享受していました。一方で有名な生物学者C・ダーウィンからは招待されて自宅を訪問したこともあります。また貴族階層の特徴で、国内だけではなくヨーロッパ全域も家族で旅行しています。一八四八年にヨーロッパ各地で騒乱が発生していた時期でさえ、家族旅行をしていました。

 一八五五年に母親が死亡すると、マリアンヌと父親の関係は一層親密になり、イギリスで国会が開催されて議員である父親がロンドンに拘束される時期以外は二人でヨーロッパ各地だけではなく、トルコ、シリア、エジプトまで旅行しています。しかし、その最愛の父親が一八六九年に死亡すると、人生の唯一の拠点を喪失し、女中一人を同伴させて海外に旅立つようになり、それが後半の人生の目標になりました。

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