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  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第33回 世界を旅行した女流画家 マリアンヌ・ノース(1830−90)

世界各地で歓迎された旅行

 父親の死後二年が経過した一八七一年になり、マリアンヌは汽船に乗船してカナダ、アメリカ、ジャマイカ、ブラジルへと旅立ちます。しかし、イギリスの名門の出身ということもあり、首都ワシントンではH・フィッシュ国務長官から招待され、長官同伴の馬車でホワイトハウスを訪問してグラント大統領夫妻に謁見し、翌日には大統領主催の晩餐会に招待され、大統領にエスコートされて着席するほどの厚遇を享受しています。

 一二月になり、温暖なカリブ海域のジャマイカに移動し、キングストン郊外の住宅を賃借して長期滞在を開始します。そこでは住居の周辺の植物を描写する日常でした。翌年、ジャマイカからブラジルに移動し、イギリスから移住している親子と出会い、二人が生活している内陸のミナスジェライスの邸宅に寄宿、そこでも熱帯特有の植物の採集や描写に没頭し、至福の生活を体験し、イギリスに帰還しました。

世界一周旅行で日本も訪問

 しばらくイギリスに滞在しますが、一八七四年から翌年にかけて避寒のために大西洋上にあるカナリア諸島のテネリフェ島に滞在し、ここでも特徴ある植物の描写を堪能します。そこからカナダのケベックに移動し、北米大陸を西進してソルトレークを経由してカリフォルニアに到達しました。そこではセコイアの巨木が林立するヨセミテ渓谷に感動し、さらにサンフランシスコに移動して、汽船で日本に到達します。

 日本では自然の景観とともに町並や寺院に感動し多数の絵画を仕上げていますが、真冬の寒気に対応できず、翌年の一八七六年の新年早々にシンガポールに移動、そこからさらにボルネオ島北部のサラワク王国に移動しました。サラワク王国は先住民族の反乱を鎮圧したイギリス人探検家J・ブルックが一八四一年に建国し国王となっていた国家ですが、太平洋戦争になって日本が占領し、一九四六年には消滅しました。

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