• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

川内 優輝さん(マラソンランナー)

学連選抜(箱根駅伝不出場の大学から成績優秀な選手が選抜されるシステム)には何年生のときに?

 2年と4年のときです。1年のときは単純に実力不足。3年次は期待されながらも大失敗してしまって(笑い)。だから集大成として臨んだ4年の箱根はとても思い出深いものになりました。大学も凄く応援してくれて、登り旗を100本も作ってくれたり、学長先生が現地まで応援に来てくれて。僕一人のために応援団がバスを出してくれて、本当に有難かったです。

卒業後は公務員ランナーに

 ランナーとしての自分のスタイルは確立していたし、一定の結果を出したという自信はある。もし声が掛かったら社会人でも実業団でもやっていける自信は十分にあった。でも、結局、大学4年の5月までに実業団からの勧誘は貰えなくて。それで、調度その時期から始まる公務員の試験にシフトしたんです。

 誘いが貰えなかった理由は、恐らく3年次の失敗です。大抵の場合、実業団の勧誘は3年から4年の間に行われるそうなんですね。そこで大きく目立つことが出来なかったのが敗因だったと思います。ただ、結果として今(2011年時点)こうして結果を残せている自分がいるので、選択は正しかったのだと思います。大学生の弟が二人いるというのもあって、生活の安定は絶対条件だったというのもありますしね。

市民ランナーとしてここまで注目度だ高まった理由はなんでしょう

 実業団で結果を残した方などをはじめ有力な市民ランナーは決して少なくないですが、そういう中で僕が注目されている理由は、やはり2時間10分を切ったことがすべてだと思います。2時間13分くらいまでのタイムなら今までもいたと思うんですけど、そこからが中々超えられない壁があるんですよ。実際、僕にとってもその壁を突破することが最終目標だったくらいです。だから今は最終目標を達成してしまった状態で(笑い)。

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