• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

青木 さやかさん(お笑いタレント)

「どこ見てんのよ!」――端正な顔立ちとキツい一言のギャップで一世を風靡したお笑いタレント・青木さやかさん(48)。2000年代初頭にメキメキと頭角を顕すと、一気にスターダムを駆けあがり、その後も女優に作家にと大車輪の活躍を続けている。が、一見順風に見えるキャリアにも、その裏には癌との闘い、そして母との拭いきれない確執があった。そんな母との関係に、親になったいま、自分を重ねて描いたのが『母』(中央公論新社刊)である。作中の少女のさらに根を求めて十代を訊いた。

幼い頃の環境は

 愛知の、割合に都会の新興住宅で小さい頃を過ごして。もちろん、それでも東京に比べれば大分自然は豊でしたけどね。生来身体が弱かった弟は、生まれたとき医師に、「長くは生きられない、5歳までに亡くなるかもしれない」と言われていて、そんなことからいつも母は、つきっきりで世話を焼いた。それを横目で見ながら、死に実感もない私は、「いつ死ぬのかなぁ」っていつも思って……。恐らく寂しかったんだと思います。実際には、回復して、今も元気に生活しています(笑い)。

どんな少女でしたか

 小さいときから成績が良くて運動は水泳をやっていました。それ以外の種目も大抵のことは人並み以上にこなせる子どもでしたね。クラスでは学級委員を務めていたし、プールで焼けた健康的な肌色にくるまれて、年中精力的に動いていました。周囲の大人たちには〝ハキハキしたしっかり者″というふうに映っていたようで、いつも何かと頼りにされて。

厳格なご家庭だったと

 成績は大体いつもオール4で、5とはいかなかったのは確かだけど、それにしても全然褒めては貰えなかったですね。特に母は、自分が昔良く出来たんだと思います。90点のテストを見せても、「なぜ100点取れないの」としか言わなくて。通うピアノ教室で『エリーゼのために』が弾けるようになったと勇んで報告すれば、「それは去年、友達の〇〇ちゃんが弾いてたじゃない」って。褒めて欲しいのにな……、とスゴく思ったのを憶えています。

それはその後の確執にも

 小さいときに褒められないと自己肯定感が低くなるというのに、大人になってから気づいたというのはありますね。その当時は、いま褒められないと自己肯定感が低くなる、みたいな焦りや危惧なんかはもちろん無かったですけど(笑い)。ただ、成長していく過程で友人たちと話すうちに、うちとは違って優しいお母さんだな、とか、そんなことしてもらったことない……、というように感じることが増えていって、結果として反発することになってしまってたのだと思います。

当時の読書事情は

 母が国語の教師だったこともあって、家には書庫があったんです。そこには大体、千冊くらいの蔵書があって、専門書なんかもあるので、もちろんその全部を読んだわけじゃないんだけど、色々手に取ったりはしましたね。他にも図書館でよく借りて来ては本を読みました。ときには親が借りた時代小説なんかにまで手を伸ばしたりもして。

思い出の本は

 一番、印象に残ってるのは、林真理子さん。自分が最初に選んで買った作家さんというのもあって、今でも大好きですね。あと一番何度も読み返したのは、高野秀行さんの『ワセダ三畳青春期』。最初、20年ほど前に仲間に勧められて読んだんだけど、これがもうスゴく気に入って。作中に流れる、何か不幸も不運さえも楽しむようなユーモアたっぷりの空気感が本当に最高で。私の本を読んで、「この作品に似てる」と言ってくれた友人がいたんだけど嬉しかったですね。

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