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  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第17回 近代の女子教育に尽力した 下田歌子(1854-1936)

欧米に視察旅行

 そのような苦労もありましたが、明治二六(一八九三)年に明治天皇の皇女である常宮と周宮の両内親王の御養育主任佐々木高行から皇女教育のために欧米の教育事情を視察する役割を拝命します。同年九月に横浜から出航し、最初にイギリスのブライトンで語学学校に通学して英語を学習し、一二月にロンドンに移動します。そこでヴィクトリア女王の女官であるE・A・ゴルドン夫人に出会い、女王の孫娘たちの教育の状況を視察します。

 本来は皇女の教育の状況を視察することが目的でしたが、一般の女子の教育にも関心があり、翌年にはチェルトナム女子大学やケンブリッジ大学付属のニューナム女子大学、さらには女子教員を養成することを目的とするケンブリッジ訓練大学、それらを卒業した学生が進学するケンブリッジ大学付属ヒューズ大学などを次々と視察するとともに、スコットランドの湖水地方、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアなどにも旅行します。

 イギリスに滞在している期間にはバッキンガム宮殿でヴィクトリア女王に拝謁する機会がありました(図2)。当初、そのような予定はなかったため礼装のドレスの用意がありませんでしたが、日本で宮中に参内するときに着用していた袿袴(ウチキハカマ)を持参していたので、それを着用したところ、日清戦争開戦の直前でイギリスでも日本への関心が高揚していた時期でもあり、日本古来の礼装であると評判になりました。

図2 ヴィクトリア女王(1819-1901)

 ヨーロッパからアメリカに移動し、アメリカ大陸を横断して帰国します。この視察の結果、国家の発展のためには上流階級だけではなく一般庶民の学校教育も重要であることを痛感するとともに、その内容も女子を対象とした教養科目だけではなく専門科目も重要であり、知育や徳育とともに体育も必要あることを確信するようになります。このときの経験が後述するように自身で女子のための学校を創設する動機となります。

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