「わたしのマンスリー日記」第7回「生活科魂」――三つの心

 用件は文部省の生活科協力者会議のメンバーになってほしいという説得でした。中野先生の説明を受けたのですが、何せ人様の学校の電話、長話もできません。結局「ええ、まあ……」という曖昧な返事をしたことが、相手方には「はい」とも「イエス」とも受け止められたのでしようね。結局私は不承不承、文部省の生活科の協力者になることになったのでした。

 携帯電話やスマホが普及していなかった時代の話。今考えると喜劇映画を見ているような気がします(笑)。

 これが生活科との出会いでした。でもこの時点ではこの出会いが私の人生を大きく変え、ひいては日本の教育を変えるきっかけになるとは夢にも思いませんでした。

生活科推進者への変身

 改装前の文部省の暗い一室で開かれた協力者会議に遅れて参加したのは、その数日後のことだったと記憶しています。行政ではよくあることですが、文部省は相当急いでいたようです。この会議で出会ったのが今回の神奈川大会の大会会長を務めた吉田豊香先生でした。

 吉田先生によると、私は初会合の挨拶で、文部省から強引に頼まれてしぶしぶ参加したというようなことを口走っていたとのことです。今にして思えば赤面の至りですが、当時の私は1987年に「連続セミナー 授業を創る」という社会科を中心にした授業づくりの運動を立ち上げたばかりで、いわば<行け行けどんどん>といった状況でしたので、生活科にまで手を伸ばす余裕はないと考えていたというのは事実です。ついつい本音を漏らしてしまっただけのことでした。

続きを読む
3 / 10

関連記事一覧