• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

ウスビ・サコさん(教育者)

来日のきっかけは

 中国のとき出来た日本人の友だちの家に、マリの仲間と3人で旅行に来たんです。家は東京の商店街の一角にあって、広いとはいえない空間に友だちの両親と布団を並べて泊っていた。友人一家も最初は喜んでくれていたんだけど、日が経つにつれ「いつ帰るのか」と聞いてくるんですよ。ヒドいなって思ってね(笑)。マリではいつ帰るかとか聞かないんです。我々には2カ月も夏休みがあるのにヒドいって(笑)。

 しまいには祇園祭りのパンフレットを持ってきて、「絶対行くべきだ」って言ってくる。でも我々も「絶対行かない」って言い張ってね(笑)。せっかくこんな東京のど真ん中にいるのに、田舎みたいなのに行きたくないって。最終的には新幹線のチケットを渡された。まあ軽く追い出されたよね(笑)。

 京都について驚いたのは、この20世紀に人々が着物を着て荷車を引っ張ってる、これが本当に日常生活か、と思うわけです。

そうこうするうちに一日も終わって、さあ今夜はどこに泊ろうとなったんだけど、東京の友人が友だちの女学生に連絡してくれて、女子寮みたいなところだけど、大人しくするなら一晩だけ泊めてくれると言うんです。自分は就職活動なんで出るけど、絶対に共有スペースには出ないでください、とだけ言い残してね。でも出ちゃったんですよ(笑)。

共有スペースに座り込んだ我々を見て、みんな最初は驚いたけど、いつのまにかすっかり仲良くなって。それでマリの音楽をかけながら料理を作ってみんなで踊り出したんです。結局、物音を聞きつけてやってきた管理人に大目玉を食らったけど、楽しかったですね。

そのとき、泊る部屋がない我々を寮の住人がカンパして泊めてくれたんです。「日本って人が優しいな」と思ってね。というのも80年代の中国はどうしても他民族を受け入れないところがあった。それに比べて日本は優しいなと。それで、大学院は中国で進んだけど、その後の拠点は日本にしようと決めた。

今、教育現場で感じる問題は

 今の日本の学習環境は、学習者本人のためではなくてどこか周りのためのものになっているんです。だから当然、学習者自身が自分で選んで進むルートを作ってくれない。何かみんなで関わってきて、そこでみんなが生き甲斐を感じるようなところがある。だから、もし学習者自身に不安があっても誰にも相談できないんですね。余りにも周りの期待が大きすぎて、「今こういうのに悩んでる」「本当はこういうのは辞めたい」というのが言えないわけです。他にも理由として、親たちが小さい頃から「あなたのために働いてるんだ」とか、「塾代のためにお金を貯めてる」だとか言って、教育に投資しているというのもあります。

昔は教育ってそうじゃなかった。畑に種を蒔いて放っておくものだったんですよ。後はただ芽が出るのを楽しみに待っていた。でも今はそうじゃないですよね。言ってみたら、もう工場で作る規格製品です。作られた製品は99%就職してもらえなきゃダメなんですね。 

今の教育現場はこれに凄く縛られている。大学は就職率で評価されるし、結果として現場の先生は教育者というよりサービスを提供する存在になっています。

 そうじゃなくて、もっと教師と生徒が人間として関わって一緒に学んでいく。それが本当の繋がりを生むし、そうしないと教育そのものがどんどん貧困になっていくんじゃないかと私は思います。

続きを読む
4 / 5

関連記事一覧