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  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第29回 アメリカの放送産業を開拓した デイヴィッド・サーノフ(1891−1971)

タイタニックの悲劇を中継

 この若者デイヴィッド・サーノフを今回は紹介します。サーノフは現在はベラルーシであるロシア帝国のベロルシアの首都ミンスクの付近の寒村シュテトルのユダヤ人家庭で一八九一年に誕生しました。当時のロシア帝国では多数の下層階級の人々が国外に流出していました。一九世紀後半のロシア帝国の人口は約一億人でしたが、毎年一〇〇万人近い人々が国外に脱出し、サーノフの父親も一八九六年にアメリカに移住しました。

 四年が経過し、ロシアに残留していた家族は父親の生活するニューヨークのロワー・マンハッタンのイーストエンドという下層階級が集中している地域に移住しましたが、父親の収入は一家の生活を維持できるほどではなく、サーノフは街角で新聞を販売して生活します。しかし若者の時代から商才のあったサーノフは新聞をまとめて購入して各戸に配達する人々に再販する商売を開始し利益をあげるようになります。

 そして一六歳になった一九〇六年に、無線通信を発明したマルコーニが経営するアメリカ・マルコーニ無線電信会社に給仕として入社し、マルコーニから電信機械の使用方法だけではなく、会社経営の仕組みなども勉強していきます。有能であったため、ブルックリン地区の無線電信局責任者、さらにマンハッタン地区のワナメーカー百貨店内に設置された無線電信局通信士に昇格、そこで運命の機会に出会うことになりました。

 前述のように、一九一二年四月一五日の深夜、沈没しつつある汽船タイタニックの乗客の救助に到着した客船オリンピックが発信した無線を受信したのがサーノフでした。最初に受信してから丸三日間、サーノフは不眠不休で救難活動に従事している船舶の発信する電波を受信し社会に伝達しました。当時の第二七代タフト大統領はサーノフが受信する無線を邪魔しないように、マンハッタンの無線使用を制限したほどでした。

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