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清々しき人々 第16回 女性の科学への道筋を開拓した エレン・スワロウ・リチャーズ(1842-1911)

新設のMITに入学

 エレンがMITに入学を許可された前年の一八六九年にアメリカでは最初となるマサチュセッツ州保険局が設立されます。イギリスからの第二の移民とされるピルグリム・ファーザーズの人々が帆船メイフラワーでボストンの南側五〇キロメートルの海岸にあるプリマスに到着してから二五〇年が経過した時期ですが、すでに現代の環境汚染という言葉で表現される問題が発生していた状況を反映した行政の行動です。

 その設立趣旨に「自身の職務を遂行するためには人間の身体的本姓、倫理的本姓、知性的本姓を別々に分離して対処することはできない。これらは相互に作用しており、どれかに危害をもたらす影響は他者にも危害をもたらす」という文章がありました。農業が産業の中心であったマサチュセッツ州内にも多数の工場が立地し、人口も急速に増加していたため、河川や湖沼の汚染が住民の生活に影響する事態になっていたことを反映した文章です。

 この州保健局の設立趣旨がエレンの研究の将来を決定することになりました。州保健局はMITのW・R・ニコルズに州内の湖沼の水質検査を依頼しました。当初、ニコルズは女性の入学に反対の立場でしたが、調査の手助けに適切な人材を探索した結果、エレンが最適の人材であることを発見し助手に採用します。ニコルズが先進のヨーロッパの技術の調査に出張している期間も、エレンは単独で調査をし、成果を蓄積していきます。

 一八七三年にニコルズが議会に提出した報告には「分析作業の大半はミス・エレン・スワローによって実施され、その結果が正確であることは彼女の貴重な援助に依存していることを報告する」と記述されています。このような彼女の成果により、MITでは環境科学が活発になり、空気の汚染や土壌の汚染を研究する学者が登場し、後者の中心が鉱物学者ロバート・H・リチャーズ教授で、一八七五年に二人は結婚することになります(図3)。

図3 エレンとロバート夫妻(1904)

 エレンには数多くの業績がありますが、専門分野ではバナジウムの単離があります。バナジウム(原子番号二三)は一九世紀に発見された元素ですが、リチャーズがバナジウムの含有が不明な鉱石からバナジウムを単離する実験をエレンに依頼したところ、わずか○・○二%しか含有していない元素の単離に成功し論文を執筆しました。この業績を評価した彼女の卒業したヴァッサー大学は唯一授与できる文学修士の称号を授与しました。

 アメリカでも女性の高等教育への参加が次第に社会で議論されるようになり、その運動を推進していた作家のT・W・ヒギンスンが一八七三年六月にボストンで「女性の高等教育」という講演をし、さらにアメリカ女性教育協会の集会でも同様の議論がなされ、それを象徴する人物としてエレンはMITから理学の学士の称号を授与されました。これはMITとしても、アメリカの大学としても自然科学分野の女性学士の最初でした。

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